価値観について
はじめに
最近自分の周囲で" 価値観 "について考える機会があったので記事にしてみようと思います。
以前自分の記事に前提をしっかりと記していなかったために誰かよく分からない人によく分からない質問をされたので本記事ではしっかりと前提を記しておこうと思います。
という訳で今回は
Google大先生で" 価値観 意味 "と調べた時に一番上に出てきたこれを"価値観"という言葉の意味と前提しておきます。
ここからが本題です。
自分がこの記事を書こうと思ったきっかけは自分の過去の記事に対する意見の真意がまるでわからなく戸惑ってしまったことです。
自分自身、意見をくださること自体は別に迷惑などとは思いません。あぁ、そういう意見もあるんだな、と自分では浮かばないような意見を目にして納得したり、同じような考え方の中の細かな部分の違いを発見できたりするからです。
しかし、僕に届いたある意見は
「君はAについてBって述べてるけど僕は違うと思うな、何か反論はある?あるなら聞かせてほしいな」
というようなあまりにも漠然としてさらに一種の挑発とも取れるような文面だったのです。
自分自身この文面に物凄く違和感を感じ、戸惑ってしまいましたが自分なりになぜかを分析してみました。その結果辿り着いたのが "価値観" という単語だったという訳ですね。
ではなぜ " 価値観 "という単語に辿り着いたのか、それを述べようと思います。
そもそも " 価値観 "とは何か?ということですがここで前提を読み直してみましょう。
要は「物事の価値についての基本的な考え方」のことですね?
つまり" 価値観 "というのは個人個人のあるものに対する考え方や意見の根底にあるモノだと筆者は解釈した訳です。
*W君はXについてYと思っているからZについて〜という意見だ。
では
Q.上の文章から筆者が思うW君の " 価値観 " にあたる部分を抜き出してみましょう。
答えは簡単です。
A.「 XについてYと思っているから 」
では、この部分をよく読んでみましょう。
この部分が*の文章の理由を示す役割を担っているということに気づいて頂けるでしょうか?
納得できない方のために*の文章からQ.の答えの部分を切り取ってみましょう、すると
**W君はZについて〜という意見だ。
この文章はW君がZについて〜という意見をなぜ持っているか説明できていませんね?
すなわち
「理由の欠如が起こっている」 =「 A.は理由である」
ということが言えるのではないかと思います。
ここまで来れば勘のいい方は分かっていただけると思いますが、筆者が違和感、戸惑いを覚えたあの文章、それはなぜなのか。
そう、理由にあたる部分すなわち質問者自身の " 価値観 "について述べていないからなんですね。
よって質問者の意見を訂正するとしたら
「僕はCについてDと思っているから君のAについてBっていう意見は間違えてると思うな、反論はある?あるなら聞かせて」
これなら筆者は質問者がどのような "価値観" のもとでどのような指摘をしたいかが分かるのではないかと思います。
このように改めて考えると自分と同じ" 価値観 " を持っていない、もしくは持っていないであろう人に自分の意見を正しく伝えるには自分の " 価値観 " を相手に示して相手に理解してもらえるよう努力すべきなのだと筆者は思います。
自分の " 価値観 " を伝えることをせず相手に一方的に理解を求めるのは、言いたいことだけ言って自分だけ気持ちよくなるだけのいわば" オ○ニー "のようなものです。
これでは相手が戸惑ったり不快に感じてしまうのは当たり前です。
これは簡単なことではありませんが自分の意見をしっかりと相手に伝え、なおかつ相手と潤滑なコミュニケーションを行うには、自分と相手で同じ " 価値観 " によって共通認識を作り一旦その同じフィールドに立って話し合うべきなのだと思います。
まとめ
"会話は言葉のキャッチボール" のような言い回しをよく見かけますが自分だけが豪速球を投げ、相手を苦しめていませんか?今一度、筆者も含めて" 価値観 " について考え直すべきではないでしょうか。
最後に
その質問者自分かもと思った人
それは自意識過剰ですよ