「Twitter=壁の落書き事件」について

はじめに

 

この記事を読んでいる人が西暦2018年12月某日の某高校の第2学期終業式に居合わせたかどうかはわからないので事件の概略を書いておこうと思います。

 

事件のあらすじ

 

高校に在籍もしくは卒業した人なら分かると思いますが、毎学期の終業式で生徒指導の先生などが全校生徒の前で話をしますよね?その際、某高校生徒指導担当脳筋(プライバシーの都合上ニックネームで表現します)教諭が「Twitterは卑怯だ」などと言うだけに飽き足らず「Twitterは俺にとっては壁の落書きと同じや」と自慢げに全校生徒の前で宣言したというものです。

 

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☝︎こんな感じ

 

 

 

 

何故筆者は本事件について語ることができるのか?

 

お前記事書いてるけどなんでお前が知ってんの?的な疑問がある方も多いと思います。なので先にはっきりとさせておこうと思いますが、脳筋が終業式で話していた内容は、以前筆者に対して説教した時の内容と全くと言っていいほど同じなのです。つまり脳筋教諭のあの発言は筆者に対する当てつけのようなものだったんですね。ただ筆者に対しての説教の際、脳筋教諭は「Twitter=壁の落書き」という内容は語っていませんでした。それらの事実を含めた上で、以下は同じ話を2度聞かされた筆者の考察記事となります。

 

考察その1

 

なぜ脳筋は1度目に語らなかった「Twitter=壁の落書き」理論を2度目すなわち全校生徒の前で語ったのか?

 

脳筋は武勇伝まがいの話を語ることに快感を覚えるような教師であったらしく(知人談)、反論するだけ無駄だと悟り、「はい」「すいません」と脳筋の話を指摘せずに聞いていた筆者のせいで自分のガバガバ理論が100%正しいと1度目の話の際に思い込んでしまい、その理論をきっと多くの人に聞かせ、自分の素晴らしさを誇示したかったのだと思います。そして2度目、全校生徒の前で語るうちに気持ちよくなり、調子に乗って追加で例の発言をしてしまったのだと思われます。

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☝︎

こういう流れ(多分)

 

 

考察その2

 

脳筋から見たTwitterについて

 

ここでは脳筋教諭の発言から脳筋教諭がTwitterをどのように見ているのかを考えてみます。

脳筋は「Twitterで色々と呟くのは卑怯だ」「Twitterに愚痴を呟くくらいなら当人同士で話し合え」などと言っていましたが、ここで一度Twitterについて考え直してみましょう。

唯一性のないものが廃れやすいこの時代においてTwitterというサービスを支える唯一性とは何でしょうか?色々な意見が存在すると思われますが、ここでは「匿名性」を挙げさせていただきます。LINEやFacebookとは異なり、アカウント名を本名にすることを良しとしないのがTwitterの風潮であり(有名人や一部の馬鹿を除く)、そこにTwitterの良さがあるのではないかと思うわけですね。では「匿名性」の良さとは何か?これは簡単です。アカウントの存在を知られたくない人間に知られにくい、自分の主張を自由に述べやすい、など色々と考えることができます。このように「匿名性」とは便利なもので、Twitterの利用者は表現の自由があるとはいえ普段の生活では口にできないような例えば嫌いな人間への悪口から社会そのものへの不満まで色々なことを自由に述べやすくなるのです。

さて、これらを踏まえた上で脳筋教諭の発言を思い出してみましょう。

 

Twitterで愚痴を呟くのは卑怯だ」

Twitterに愚痴を呟くくらいなら当人同士で話し合え」

 

卑怯と言っていますがTwitterはそもそも自由な発言の場であり、さらにこの世の全ての人間が当人同士での話し合いが出来るならTwitterから愚痴や不平不満の類のツイートは消え去りますね。つまり脳筋教諭の発言は「世界平和は実現出来る」的なただの理想論という訳です。

 

考察その3

 

Twitter=壁の落書き」理論について

 

集会後、筆者のTLを賑やかにした「Twitter=壁の落書き」発言について脳筋教諭の主張を簡単にまとめると、

 

Twitterは不特定多数の人間が見ることができる

その辺の壁の落書きと同じ

 

ということらしいです。

 

ではここで質問です。皆さんは壁の落書きを「see」、「watch」どちらの意味の「見る」で見ているのでしょう?多くの人は「see」すなわち意図せずに風景の一部として見ていると思います。ではTwitterのツイートはどうでしょう。FFのリツイートなどは「see」の方かもしれませんが、自分からフォローした人や自分の知りたいコンテンツに関するツイート、トレンド欄から見るツイートは皆さんは「watch」すなわち見たいと思って見ているはずです。また、皆さんは壁の落書き程度で世間が炎上したり、落書きした人が逮捕されたりする光景を見たことはあるでしょうか?きっとないと思います。

と、このように「Twitter=壁の落書き」理論は反論する余地の多いガバガバなものですね?いかにも情弱で脳筋な奴が思いつきで考えたような理論だと思いませんか?これだけガバガバだったら集会後のTLも荒れるよなぁ(小並)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論

教育委員会は教員への情報教育をしっかりしろ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に 

 

上でも述べた通り脳筋教諭は自分の武勇伝を語ることに快感を覚えるようなので脳筋教諭が好きな人はこの記事のURLを拡散して脳筋教諭を喜ばせてあげよう!

 

(なお当方で責任は負いません。自己責任です。)