ぼくとがいあくついったらーのなつやすみ ごじつだん

以下、平仮名で文章を書くのがかなり面倒なので漢字を使います。(最初から使えとか言わないで)

 

 

ほとぼりも冷めた頃だと思うので例の件の感想だけ記しとこうと思います。

 

 

 

感想

 

 

2日目の記事で彼の大して面白くもない指摘に反論したわけですが、特に何も言わずに去っていったのがちょっと悲しかったですね。

ちなみに筆者が"早く反論してほしいな"の所で反論してたら自信満々な感じであの指摘してきたのかな?と思うとなおさら悲しいですね。

12時間も反応なかったんだからもうちょっと面白い指摘してくれても良かったのにつまんないなぁ。

あと文面だけならいくらでも謝罪できるから変な謝罪より動機と垢特定の方法聞いとけば良かった。

 

 

 

 

最後に

 

もし彼がこの記事読んでるならまだブロックしてないから垢特定の方法と動機を教えてほしいなぁ(^^)

 

 

ぼくとがいあくついったらーのなつやすみ ふつかめ

 

きょうはがいあくついったらーさんがまきこんだかたがたにしっかりとしゃざいし、しっかりとりゆうをつけていけんをのべたのでぼくもまじめにはんろんしようとおもいます。

 

はんろんするにあたってまずあいてのいけんをしめそうとおもいます。

 

 

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いちばんのいけんは「あくまのしょうめい」なのでぎろんするだけじかんのむだとはんだんし、むしさせてもらいます。

 

もし「あくまのしょうめい」をしらないならしっかりとしらべてきてください。そのいけんについてはなすだけじかんのむだだとわかるとおもいます。

 

にばんのいけんについてですがぜんていとして

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そもそもえっくすのりろんはぼくのかんがえではなく、のうないおはなばたけなのうきんきょうゆのりろんがもしただしかったらこうなるよね?とのべているだけです。ぼくじしんこんなことあるわけないとおもっていますしそもそもとうにんどうしではなしあいができるというかていがまちがいです。

 

それにぼくのほかのきじもよんだかどうかしりませんが

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のうきんきょうゆのよびだしのまえのよびだしのじてんでこのけんにかんしてのよびだしはじじょうちょうしゅなどではなくいっぽうてきなはんせい、だんざいのばとにんしきしていたんですよね

 

つまり、にばんにのべられているのうきんきょうゆとはなしあったにもかかわらずのぶぶんがそもそもまちがえています。よってかていがまちがえているのでむじゅんがしょうじてしまうのはとうぜんです。

 

ちゃんときじをぜんぶよんでからかんがえましたか?それともぼくのぶんさいがなかったのかなぁ?こうしゃだったらごめんなさいね、これからどりょくします。

 

ぼくからのはんろんはいじょうです。

 

 

害悪アカウントに絡まれた件

 

皆さん、快適なTwitterライフをお過ごしでしょうか?筆者はつい先日とても害悪な"自己満足公開オナニーさん"(仮)に絡まれてとても快適とは言えない状況です。

 

 

ところで、皆さんは街中を歩いている時に急に見知らぬ人に「君、間違ってると思うよ?反論ある?」と言われたとします。この場合声をかけてきた人を皆さんはなんと呼ぶでしょうか?最も多いであろう意見は"不審者"だと思います。分かりやすく言うと僕はこの不審者にしつこく絡まれている訳ですね。かなり面倒です。

 

文字の例えだけだと分かりにくいと思いますので写真も添えておきます(プライバシーの都合上モザイク加工済)

 

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このように友人との何気ない日常会話の途中に急に入ってきて筆者の過去の記事の画像を貼り付け何の関係もない発言をしていくアカウントを害悪と呼ばずして何と呼べばいいのでしょう。

 

 

 

このように害悪アカウントさんには他人のプライベートを侵害してまで言いたいことがあるようですが、

ここで疑問その1です。害悪さんが添付してきたスクショを見てみましょう。

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一番上にスクショを撮影した時刻が表示されていますね?

時刻は0:50

それが何だと思う人がいると思いますがここで例のリプが送られた時間を確認してみましょう。f:id:tHmgnT:20190719231404p:image

表示されている時刻は23:48

すなわちこの写真は筆者たちの会話を見てから撮ったものではなくあらかじめ撮っていたものであるという証明です。ここでもう2枚の写真を投下します。

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これは害悪さんがスクショを撮っていたブログのアクセス解析です。これを見れば分かると思いますが例のスクショは7/6より前に撮影されています。

他人のプライベートを邪魔するほど言いたかったはずの意見をなぜ2週間近くもしくはそれ以上温めていたのでしょう?そんなに言いたいならスクショを撮った日に言えばいいのではないでしょうか?

まぁもしかしたらブログにコメント機能が付いていることを知らなかったとか?筆者のTwitterアカウントを見つけられなかったとか?言い訳されたらどうしようもないのでこの件は今はこれ以上掘り下げません。

 

 

 

次の疑問です。唐突にFFでもない鍵アカウントにリプをしてきたと言うことは、その鍵アカウントが筆者のものであるという確信があったはずです。ではなぜ筆者のアカウントを発見もしくは認識した際にTwitterのDM機能や@を付けてその主張をしてこなかったのか?まぁこれも「自分は奥手で言い出すタイミングが見つからなくて」などと言い訳されたらどうしようもないのでこの件も今はこれ以上掘り下げません。

 

 

 

 

 

ここからは筆者の仮説ですが、

DMを使わない上に@を付けて筆者だけ呼び出さなかったあたり衆人環視の状況でヒーロー気取りなことをして自己満足したかっただけじゃないかなと思います。ちなみに害悪さんには筆者以外の2人の会話は見えていたはずなので筆者のツイートだけ見えない状況で自分が見えるツイートの「無知」という単語だけを見て今なら筆者にマウントを取って主張できると思ったんでしょう。まぁ筆者のこの意見は本人には否定されるかもしれませんが、2つの疑問点から少なくとも僕にはそのように感じられますね。

 

 

 

害悪さんの正義感がああさせたのか、日頃のストレスを偶然開いたTwitter上にいた悪人に向けて発散したかったか知りませんが、彼の意味の分からないリプに巻き込まれた筆者の友人はf:id:tHmgnT:20190720013038j:image
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このように戸惑っているんですよ?まぁ当たり前です。自分がまるで関係ない話にいきなり巻き込まれている訳ですからね。

 

 

 

 

何を考えてああいうことをしてるか知りませんが、部外者まで巻き込み、困らせてまで自己満足をしようとするオナニー行為は正直理解が出来ません。大学に受かるだけの勉強が出来てもこのように常識的なことがわかってないようじゃ将来社会にとって有害な人間になる可能性が高いということを自覚して猛省して欲しいですね。

 

 

追記:"FF外失礼"なども使っていないあたり礼儀という言葉も知らないんでしょうね。

 

 

 

 

P.S.お前のそれもオナニー行為だろ?とか言おうとしてませんか?害悪さん?

 

「お前がオナニー行為に巻き込んで来たんだから同じことされても文句言うんじゃねぇよ。」

 

 

価値観について

 

はじめに

 

 

最近自分の周囲で" 価値観 "について考える機会があったので記事にしてみようと思います。

 

 

 

以前自分の記事に前提をしっかりと記していなかったために誰かよく分からない人によく分からない質問をされたので本記事ではしっかりと前提を記しておこうと思います。

 

 

という訳で今回は

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Google大先生で" 価値観 意味 "と調べた時に一番上に出てきたこれを"価値観"という言葉の意味と前提しておきます。

 

 

 

ここからが本題です。

 

自分がこの記事を書こうと思ったきっかけは自分の過去の記事に対する意見の真意がまるでわからなく戸惑ってしまったことです。

 

自分自身、意見をくださること自体は別に迷惑などとは思いません。あぁ、そういう意見もあるんだな、と自分では浮かばないような意見を目にして納得したり、同じような考え方の中の細かな部分の違いを発見できたりするからです。

 

しかし、僕に届いたある意見は

 

「君はAについてBって述べてるけど僕は違うと思うな、何か反論はある?あるなら聞かせてほしいな」

 

というようなあまりにも漠然としてさらに一種の挑発とも取れるような文面だったのです。

 

自分自身この文面に物凄く違和感を感じ、戸惑ってしまいましたが自分なりになぜかを分析してみました。その結果辿り着いたのが "価値観" という単語だったという訳ですね。

 

ではなぜ " 価値観 "という単語に辿り着いたのか、それを述べようと思います。

 

そもそも " 価値観 "とは何か?ということですがここで前提を読み直してみましょう。

要は「物事の価値についての基本的な考え方」のことですね?

つまり" 価値観 "というのは個人個人のあるものに対する考え方や意見の根底にあるモノだと筆者は解釈した訳です。

 

 

 

W君はXについてYと思っているからZについて〜という意見だ。

 

 

では

Q.上の文章から筆者が思うW君の " 価値観 " にあたる部分を抜き出してみましょう。

 

 

 

 

 

 

答えは簡単です。

A.「 XについてYと思っているから

 

では、この部分をよく読んでみましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この部分が*の文章の理由を示す役割を担っているということに気づいて頂けるでしょうか?

 

納得できない方のために*の文章からQ.の答えの部分を切り取ってみましょう、すると

 

 

**W君はZについて〜という意見だ。

 

 

この文章はW君がZについて〜という意見をなぜ持っているか説明できていませんね?

すなわち

理由の欠如が起こっている」 =「 A.は理由である」

ということが言えるのではないかと思います。

 

 

ここまで来れば勘のいい方は分かっていただけると思いますが、筆者が違和感、戸惑いを覚えたあの文章、それはなぜなのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、理由にあたる部分すなわち質問者自身の " 価値観 "について述べていないからなんですね。

 

 

よって質問者の意見を訂正するとしたら

 

「僕はCについてDと思っているから君のAについてBっていう意見は間違えてると思うな、反論はある?あるなら聞かせて」

 

これなら筆者は質問者がどのような "価値観" のもとでどのような指摘をしたいかが分かるのではないかと思います。

 

このように改めて考えると自分と同じ" 価値観 " を持っていない、もしくは持っていないであろう人に自分の意見を正しく伝えるには自分の " 価値観 " を相手に示して相手に理解してもらえるよう努力すべきなのだと筆者は思います。

 

自分の " 価値観 " を伝えることをせず相手に一方的に理解を求めるのは、言いたいことだけ言って自分だけ気持ちよくなるだけのいわば" オ○ニー "のようなものです。

 

これでは相手が戸惑ったり不快に感じてしまうのは当たり前です。

 

これは簡単なことではありませんが自分の意見をしっかりと相手に伝え、なおかつ相手と潤滑なコミュニケーションを行うには、自分と相手で同じ " 価値観 " によって共通認識を作り一旦その同じフィールドに立って話し合うべきなのだと思います。

 

 

まとめ

 "会話は言葉のキャッチボール" のような言い回しをよく見かけますが自分だけが豪速球を投げ、相手を苦しめていませんか?今一度、筆者も含めて" 価値観 " について考え直すべきではないでしょうか。

 

 

最後に

 

 

その質問者自分かもと思った人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは自意識過剰ですよ

 

 

 

 

 

 

体育祭アンチ必見!上手なサボり方講座

 

 

もうじき運動ができる(だけの)陽キャさん達がイキりちらかす体育祭の季節ですね。このブログはそんな体育祭が大嫌いな人達に向けて上手いサボり方を紹介していく記事です。

 

 

 

 

 

 

*体育祭ガチ勢の方々はここでこのブログを読むのをやめましょう。もし、この注意書きを無視して読み進めて不快になられても当方は責任を負いません。

 

 

 

 

 

 

 

 

(以下は去年と一昨年の例と経験談なので今年、通用しない可能性があります。ご了承ください)

 

まずはこの方法から紹介しようと思います。

 

その1「親を説得して学校に来ない」

 

どんなにダメ元だと分かっていてもまずはこの方法を試してみましょう。

体育祭の練習をサボる上で面倒なことは学校側が何としてでも練習に参加させようと家にまで電話をかけてくることです。ここで親に何も言わずサボっていては学校側の一方的な主張を押し付けられた親に学校へと強制送還されてしまうことでしょう。ではこれにどう対処するか?ここで対処法は二つに分かれます。

 

対処その1

一時的に引きこもりになる

これが出来れば正直問題はないと思います。しかしこれだと学校側に内申などで報復される可能性が高くなるのであまりオススメはしません。

 

ではどうするか?

 

対処その2

親を買収する。

 

ここで子供が学校をサボっていると学校からの電話で知らされた時の親の心理を考えてみましょう。おそらく体育祭の練習をサボっていると知らされた時、親の脳内にはきっと

 

「自分の子が面倒事から逃げている」

「学校に迷惑がかかっている」

「将来サボり癖のある子供に育ったらどうしよう」

 

などと色々な考えが浮かぶことでしょう。

まぁ親は基本、子供の心配をするのが普通です。学校はそこに付け込みます。こうなってしまってはおしまいです。

 

きっと学校へ無理矢理行かされ体育科の脳筋だったり担任だったりに中身のない熱血論を聞かされて意味もわからないまま体育祭への強制参加のチケットを握らされます。

 

こうならないためにアンチの皆さんには親へ本気のプレゼンをすることを強く推奨します。ただし、体育祭にただ出たくないという言葉だけを並べても親はきっと納得してくれません。親を納得させるに足るようなプレゼンにするためには体育祭の練習期間をサボることによるメリットをしっかりと伝えましょう。

 

 

例えば

 

体育祭の練習期間は2週間、計10日ほどある。

10日間で体育祭練習は50時間ほどある。午前中の授業の合間の休憩時間や昼休みを含めるとそれ以上。

この50時間は受験直前期毎日10時間勉強すると仮定するとなんと5日分

1点やそれ以下で合否が決まる受験において、この5日分の時間は非常に貴重な時間である。

ここでもし僕を止めて受験で1点足りずに落ちてしまったらどうするのか?オプション1年分のお金を文句一つ言わずに払ってくれるの?

体育祭練習に出ないのに落ちたらどうするか?体育祭練習に出ていたら疲れなんかでもっと勉強できないだろうからどっちにしても落ちてるよ

あなた達にとって僕の合否と体育祭どっちが大事なのか?

ここまで言ったからにはちゃんと勉強する、だから休むのを認めて欲しい

 

 

 

 

とまぁ、このように一番休みたいであろう3年生達には受験を絡めて話を進めるのがいいと思われます。さすがに自分の子供に浪人して欲しいなどと願っている親はほとんどいないはずなので成功率は格段に上がるはずです。ただ休むからにはしっかりと勉強はしましょう。

 

ただし、この作戦はどれだけ良いプレゼンをしたところで「学校万歳!」みたいな親に対しては効果がかなり薄いのが難点です。ただ、成功すれば親公認で学校からの追撃をかわしつつ有意義な時間を過ごせるので試して損はないと思います。

 

 

 

 

 

次にその1で残念にも失敗してしまった人達のために学校へ行くだけ行って上手い具合にサボる方法を紹介します。

 

その2 数種類の通院先をでっち上げる

 

学校側はどうにかして参加を強制しようとしてきますが、さすがに病人に対してまで炎天下の中練習に参加しろとは言いません。そこを利用して自分を病人に仕立て上げましょう。一番効果的なのはおそらく足の怪我でしょう。学校側もバカではないので期間中、練習を休みすぎるとさすがに疑いの目を向けてきます。本当に病院に行くほどの理由があるのか確かめようとする教師も出てくることでしょう。ですが足の怪我であればわざわざ靴、靴下を脱がせてまで確認する教師もほとんどいなくなります。(体験談)他には歯医者なども効果的です。このように通院先をでっち上げれば「5時から病院なのでギリギリ帰りのHRまでいたら間に合わないので…」などと当日の朝や前日に言っておくと基本的には学校側もOKを出さざるを得ません。体育祭練習期間は2週間あるので2種類の通院先をでっち上げれば4日はサボれます。ここで重要なのは"帰りのHRまでいたらギリギリ間に合わない"ということを伝えることです。HRの時間までいても間に合うと知られると体育祭練習は体育の授業扱いらしいので教師は「HRまではいなさい」と言ってきます。こうなるとHR前に消えると家に電話がかかってきてゲームオーバーです。ただHRまでにいなくなると伝えておけば見学者に対する管理や校門に統制が立っていないなどのガバガバ体制を利用して欠席者名簿に名前を伝えるだけでいつ学校からエスケープしてもバレません。とこのようにその2を利用するだけで4日ほどはサボれます。ただこれだけだと物足りないと言う方には次に述べるその3との併用をお勧めします。

 

 

その3 保健室を利用

オーソドックスですがこれも意外と通用します。これは10日間のうち1週目の初日もしくは2日目&2週目の木曜or金曜のように出来れば1週間以上間を取って利用するのが良いです。保健室の先生は生徒の健康を第一に考えています。しっかりとキツそうなフリをして訪れると布団で寝かせてくれます。この状態で1時間ほど経過すると体調が戻ったか戻ってないか、戻ってないなら帰るか帰らないかを聞いてくれるはずです。良心が痛む人もいるかと思われますがそれでもサボりたい人は保健室の先生に頼りましょう。

 

 

 

その1〜その3まで紹介しましたが去年の筆者の例を載せます。

 

1日目 通院

2日目 保健室

3日目 学校応援まで観戦

4日目 通院

5日目 学校応援まで

6日目 通院

7日目 保健室

8日目 学校応援まで

9日目 通院

10日目 保健室

 

*学校応援まで観戦というのはとりあえず学校応援を見てその後の自由参加の30〜40分が始まる前の統制委員長のお話の隙に見学者席から抜け出しそのままエスケープというルートです。

 

さすがにその1と同じように10日丸ごと休めるわけではないので一応学校応援まで残る日もありますがこのような方法で7日間は休めました。足の指の骨を折る事を考える人もいるかもしれませんがさすがに危ないのでやめましょう。

 

 

 

 

結論 

 

 

 

 

 

体育祭はクソ

 

 

 

誤字などがあったらすみません

 

「Twitter=壁の落書き事件」について

はじめに

 

この記事を読んでいる人が西暦2018年12月某日の某高校の第2学期終業式に居合わせたかどうかはわからないので事件の概略を書いておこうと思います。

 

事件のあらすじ

 

高校に在籍もしくは卒業した人なら分かると思いますが、毎学期の終業式で生徒指導の先生などが全校生徒の前で話をしますよね?その際、某高校生徒指導担当脳筋(プライバシーの都合上ニックネームで表現します)教諭が「Twitterは卑怯だ」などと言うだけに飽き足らず「Twitterは俺にとっては壁の落書きと同じや」と自慢げに全校生徒の前で宣言したというものです。

 

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☝︎こんな感じ

 

 

 

 

何故筆者は本事件について語ることができるのか?

 

お前記事書いてるけどなんでお前が知ってんの?的な疑問がある方も多いと思います。なので先にはっきりとさせておこうと思いますが、脳筋が終業式で話していた内容は、以前筆者に対して説教した時の内容と全くと言っていいほど同じなのです。つまり脳筋教諭のあの発言は筆者に対する当てつけのようなものだったんですね。ただ筆者に対しての説教の際、脳筋教諭は「Twitter=壁の落書き」という内容は語っていませんでした。それらの事実を含めた上で、以下は同じ話を2度聞かされた筆者の考察記事となります。

 

考察その1

 

なぜ脳筋は1度目に語らなかった「Twitter=壁の落書き」理論を2度目すなわち全校生徒の前で語ったのか?

 

脳筋は武勇伝まがいの話を語ることに快感を覚えるような教師であったらしく(知人談)、反論するだけ無駄だと悟り、「はい」「すいません」と脳筋の話を指摘せずに聞いていた筆者のせいで自分のガバガバ理論が100%正しいと1度目の話の際に思い込んでしまい、その理論をきっと多くの人に聞かせ、自分の素晴らしさを誇示したかったのだと思います。そして2度目、全校生徒の前で語るうちに気持ちよくなり、調子に乗って追加で例の発言をしてしまったのだと思われます。

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☝︎

こういう流れ(多分)

 

 

考察その2

 

脳筋から見たTwitterについて

 

ここでは脳筋教諭の発言から脳筋教諭がTwitterをどのように見ているのかを考えてみます。

脳筋は「Twitterで色々と呟くのは卑怯だ」「Twitterに愚痴を呟くくらいなら当人同士で話し合え」などと言っていましたが、ここで一度Twitterについて考え直してみましょう。

唯一性のないものが廃れやすいこの時代においてTwitterというサービスを支える唯一性とは何でしょうか?色々な意見が存在すると思われますが、ここでは「匿名性」を挙げさせていただきます。LINEやFacebookとは異なり、アカウント名を本名にすることを良しとしないのがTwitterの風潮であり(有名人や一部の馬鹿を除く)、そこにTwitterの良さがあるのではないかと思うわけですね。では「匿名性」の良さとは何か?これは簡単です。アカウントの存在を知られたくない人間に知られにくい、自分の主張を自由に述べやすい、など色々と考えることができます。このように「匿名性」とは便利なもので、Twitterの利用者は表現の自由があるとはいえ普段の生活では口にできないような例えば嫌いな人間への悪口から社会そのものへの不満まで色々なことを自由に述べやすくなるのです。

さて、これらを踏まえた上で脳筋教諭の発言を思い出してみましょう。

 

Twitterで愚痴を呟くのは卑怯だ」

Twitterに愚痴を呟くくらいなら当人同士で話し合え」

 

卑怯と言っていますがTwitterはそもそも自由な発言の場であり、さらにこの世の全ての人間が当人同士での話し合いが出来るならTwitterから愚痴や不平不満の類のツイートは消え去りますね。つまり脳筋教諭の発言は「世界平和は実現出来る」的なただの理想論という訳です。

 

考察その3

 

Twitter=壁の落書き」理論について

 

集会後、筆者のTLを賑やかにした「Twitter=壁の落書き」発言について脳筋教諭の主張を簡単にまとめると、

 

Twitterは不特定多数の人間が見ることができる

その辺の壁の落書きと同じ

 

ということらしいです。

 

ではここで質問です。皆さんは壁の落書きを「see」、「watch」どちらの意味の「見る」で見ているのでしょう?多くの人は「see」すなわち意図せずに風景の一部として見ていると思います。ではTwitterのツイートはどうでしょう。FFのリツイートなどは「see」の方かもしれませんが、自分からフォローした人や自分の知りたいコンテンツに関するツイート、トレンド欄から見るツイートは皆さんは「watch」すなわち見たいと思って見ているはずです。また、皆さんは壁の落書き程度で世間が炎上したり、落書きした人が逮捕されたりする光景を見たことはあるでしょうか?きっとないと思います。

と、このように「Twitter=壁の落書き」理論は反論する余地の多いガバガバなものですね?いかにも情弱で脳筋な奴が思いつきで考えたような理論だと思いませんか?これだけガバガバだったら集会後のTLも荒れるよなぁ(小並)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論

教育委員会は教員への情報教育をしっかりしろ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に 

 

上でも述べた通り脳筋教諭は自分の武勇伝を語ることに快感を覚えるようなので脳筋教諭が好きな人はこの記事のURLを拡散して脳筋教諭を喜ばせてあげよう!

 

(なお当方で責任は負いません。自己責任です。)